有島武朗歌碑。「浜坂の遠き砂丘の中にして さびしき我を見出でけるかも」 東京都に生まれた小説・評論家。 大正12年4月鳥取市の水脈社の涌島義博らの希望で山陰文化講演の招に応じて鳥取市遷喬小学校で講演をしました。 その次の日の30日に、鳥取砂丘に案内されて詠んだ句です。この約1ヵ月後、信州軽井沢の別荘で婦人記者で人妻だった波多野秋子と情死し、 世間に大きな衝撃をもたらしました。
ひょいと因但観光ナビ(http://www.hyoito.net/dd.aspx?spotid=498&menuid=1021)より。
 画像をクリックしてください。

<元へ     ■戻る    次へ>